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八清の自由研究も2周目に入り、私は沖縄の建築を訪ねる研修に行ってきました!

実は沖縄には多くの名建築や沖縄独特の建築物があり、気になってはいたもののこれまで訪れることができなかったので、自由研究の機会に訪ねてきました。

テーマは、「気候と歴史、風土が混ざり合う沖縄建築」です。

建築の教科書にも載っている、憧れの名建築を見学

沖縄に行くと決めた時、真っ先に思い浮かび、絶対に見たかったのが「名護市庁舎」です。

私は大学で建築を学び、その後、建築士の資格勉強もしてきましたが、建築の教科書には必ずといっていいほど名護市庁舎が掲載されていました。

教科書では、「屋上緑化や、風の道を確保して海からの涼風で自然空調を行う」とされ、いわゆるパッシブデザインの代表としてよく試験問題にも出されているイメージでしたが、掲載されている写真を見ても私は今一つどのようなものか分かってなかったので、是非実物を見てみたかったのです。

その名護市庁舎ですが、実は現在移転・建て替えを含む市庁舎の更新の検討がなされています。

もしかしたら近い将来見られなくなるのかもしれない...と思ったことも、今回の旅の行き先を決める大きな理由の一つになりました。

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到着してまず感じたのは、建物の外観を一枚の写真に収めることができないぐらい、壮大で自然と一体化しているということです。

一見するとダンジョンのような、要塞のような印象の外観を持ち、およそ市庁舎には見えないのが第一印象でした。

教科書にある通り、「各階をセットバックさせてできたテラスをパーゴラで覆う」構成になっており、ブロック状に積まれたテラスとパーゴラのセットが互い違いに段々畑のように連なることで不思議な居心地の良さを演出していました。

沖縄の建築にはよく見られますが、台風に耐えるためにあえて屋根材を面材とせず、パーゴラのような組み方をすることで風通しがよく、かつ日差しが軽減されるテラスが特徴的で、この日は11月だというのに30℃近くあったのですが、本当に涼しく快適でした。

何より印象的だったのは、そのテラスにテーブルを置いて課内のミーティングをしていたり、掃除用の雑巾がたくさん干されていたりと、職場としての生活感があふれ出ていました。(笑)

ただ保存されている建築作品という訳ではなく、使われてこその名建築を体現している素晴らしい市庁舎でした。

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職員や市民へのアンケートでは、「有名建築物として外観等の保存を求める意見もみられた」とのことです。

老朽化や市庁舎の在り方の移り変わりは向き合わなければならない課題ですが、私も是非とも後世に伝えて欲しい建築だと思いました。

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現代の技術が光る首里城の再建

那覇市内のホテルに滞在し、翌日は再建中の首里城の見学に訪れました。

2019年に火災で焼失した正殿をはじめとする9の施設を、2022年から4年間かけて復元するスケジュールで工事が進められています。

現在は再建の様子を一部見学できるようになっていて、ある意味で貴重な状態の首里城を見ることができます。

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現在は、まさに正殿の柱や梁を組み上げている最中で、正殿自体に大きな屋根をかけ巨大な室内空間で作業をしているような状況でした。

すぐ隣には、木材の加工場や加工した木材を乾燥させる倉庫が一体となった3階建ての建物が併設されていて、スムーズに資材を運べるようになっています。

木材加工場には、直径30~40cm程の大きな円形の柱に貫と呼ばれる材を入れるための大きなほぞ穴が開けてあり、それが実際に組まれているところも見ることができます。

また、見学者に分かりやすいよう屋根構造の実寸大の模型等が置かれていたりと、完成した寺社仏閣を外から見るだけでは分からないような部材を間近で見ることができました。

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普段、町家の改修で工事現場に慣れてはいますが、材料の大きさや加工場のスケールに圧倒されました。

それでも、正殿の基礎部分は石場建の構造になっていて、町家との共通点を見つけることもでき、昔からの技法を今の技術で再現していることに感動を覚えました。

宮大工さんは、一生のうちに完成させられる棟数は一般的な大工さんより少ないはずなのに、何故いきなり首里城の正殿を作ることができるのだろう...ぜひ、完成した首里城もまた見に来たいです!

島に暮らすように泊まる

最後は、那覇から石垣島経由で竹富島に移動し、星のや竹富島に宿泊しました。

施設内は、竹富島の街並みを再現するように一戸建ての住宅が立ち並び、それぞれが客室となっています。

白砂の路地や石垣でできた塀、赤瓦の屋根など、まさに竹富島の集落の中を歩いているような、そしてそのうちの一軒に泊まるというよりは暮らすような感覚を体験できます。

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客室の前に立つと、屏風(ひんぷん)と呼ばれる魔除けと目隠しの役目を持つ塀が正面にあります。

スタッフの方に、入る時は必ず左側を通るように、右側は神様の通り道と言われていますと教えて頂きました。

実際の島の住宅も同じ構成になっていて、建物自体も通常の住民の玄関は建物の左側、お客様や神事を行う部屋への動線は右側となっています。

また、建物の屋根は台風の煽りを受けにくいよう軒が少し短く設計されており、その分室内側の建具をあけ放つと外部空間と一続きになるように構成されています。

実際の竹富島の住宅ではさらに縁があることで、雨端と呼ばれる大きな軒下空間となり、日差しを遮ったり、雨の多い沖縄で内でも外でもない合間の空間として、人々が集まる場となっていたそうです。

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室内から見た景色も、朝と夕方で表情の違いを楽しむことができます。窓を開け放ったらより開放的な空間になりそうでした。

翌朝、敷地の中を散策していると、偶然別の客室の屋根の漆喰補修作業をしている左官屋さんに出会うことができました。

よく見ると、漆喰を瓦の上から塗り固めるようにしていて、これは瓦が台風で飛ばないようにおさえるように施工する、赤瓦のデザインと実用性を兼ね備えた工法のようです。

どこに行っても、職人さんの作業にはじっと見入ってしまいますね。

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自然への感謝、周りへの感謝

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竹富島は、沖縄本島と同じく気候が厳しいだけでなく、恵まれた土地質ではなかったため神様へ祈りを捧げることでその恩恵を受けるという考えが深く根付いています。

そのため、建物自体も物理的に理にかなっていることはもちろん、家の中心に神棚があるなど、神事を中心とした暮らしの習慣が随所に見られるものでした。

それは、信仰心というよりは暮らしに密着した存在として島の人々を支え、ひいては神様だけでなく常に周りの人に感謝し、支えあって生きる島の人々の生き方そのものに表れているようにも感じられました。

京都も、夏は暑く、冬は寒いという比較的過酷な環境ですが、厳しい自然に対策するという意味では似ているはずですが建物のつくりや自然に対する考え方は随分違っていて、とても新鮮でした。

私たちも、もっと置かれた環境に感謝して町の風景を守っていかないといけないな、と感じました。