皆さま、はじめまして、暮らし企画部プロデューサーの波多野と申します。

普段は、設計図の作成や現場監督、不動産営業や八清の建築部門の統括などさまざまな業務に携わっていますが、今回は八清の建築業務部門の責任者の立場から、この数年、考えていることを書かせていただきます。

ある日の工事現場で

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波多野   「加藤さん、この間、来てもらってた、若い子は?」

大工さん  「いやー、やめてしもてん」

波多野   「えっ!」

大工さん  「ええ子やったんやけどなぁ」

 

最近、こんな感じのやり取りを、ちょくちょくするようになりました。

そうです、若い職人さんが大工の仕事(見習い)を辞めたという話です。

辞めること自体は、特にめずらしい話ではないかもしれないのですが、今の八清にとっては、結構、深刻な問題の1つです。

さかのぼること15 年ほど前、本格的に京町家のリノベーション始めたとき、八清の協力業者さんの中には、40代~60代の油が乗った、大工さんや左官屋さんといった職人さんがたくさんおられました。

新しい構法の仕事をしたこともあるが、若いころ、町家の仕事もしていたよ、というような方たちもその中にはおられました。

当時の八清にとっては、とても頼もしい存在で、いろんな場面で助言をいただいたことを思い出します。

エースストライカーは「おじいちゃん」

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ただ、その助言をいただいた方たち、実はその多くが、いまだ、現役なのです。

それも主力です。主力なのです!

サッカーでいう、エースストライカーであり、野球でいう、4番打者なのです。

今、仕事を発注する分には、とてもやりやすい状況にあります。

10年、15年、ともに仕事をしてきましたから、あうんの呼吸というか、私がどんなことを言うのかをなんとなく分かってくれています。

ですが、この状況をあと何年続けられるかと考えると、不安が広がります。

そのエースストライカーの多くが、自分の家では、「おじいちゃん」と呼ばれているわけですから・・・。

志す、けれども

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この4、5年ぐらい前から、協力業者さんとは「若い人を入れなあかんなぁ」という話が度々、話題になります。

事実、協力業者さんも頑張ってくれていて、若い人を見かけるようにはなっています。

ただ、なかなか定着しない。

理由としては、簡単には技術を習得できないことや肉体的にきつい雑用が多いこと、徒弟制度が残る業界でもあるので、「見習い」のうちは報酬がその労力に見合っていないことなどがあげられます。

昨今は、さまざまな業界で後継者不足が叫ばれています。

この建築業界も例外ではないのですが、その中でも特殊な伝統構法に係わる職人さんの不足は、特
に待ったなしの状況にあります。

八清がしないといけない事

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続けてもらうためには、いろいろな手を打たなくてはいけないとは思いますが、今、八清にできることについて私は次のように考えています。

私自身は職人の技を持っているわけではありませんから、伝えることは出来ません。

八清にできるのは、技を発揮出来る、そして技を磨ける「場」を作ることだと考えています。

もちろん、工場での練習ではなく、実際に施主が住まう家の施工という「本番」です。

そして、この仕事で食べていけるだけの発注をすることが必要です。

もちろん、それは八清だけでどうこう出来ることではありません。

行政などとも協力し、同じ方向へ進む建築関係や不動産関係の業者さんを集め、実際に京町家に住みたいと思ってもらえる方を、一人でも多く増やす努力をしないといけないのではないかと考えています。

「京つむ木 」

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梓工務店さんと協力して進行中の新築京町家プロジェクト「京つむ木」も、その一環です。

(梓工務店さんは伝統工法による木造の新築・リフォーム・古民家再生などを手掛けている工務店さんです。)

昭和25年に建築基準法が定められる前に建てられた京町家は、昔ながらの伝統構法で新築することが難しく、改修することで保全に取り組んでいますが、現実的には取り壊されて数が減り続けています。

その状況の下で、合法的に伝統構法の手法を取り入れて京町家を新築し、増やす方向に転じることができないかと考えたプロジェクトです。

京町家を増やすことが出来れば、伝統構法に関わる職人さんたちの仕事を増やすことにもつながると思います。

伝統構法で建てられた、外観も京町家に出来る限り近づけた新築京町家が来年早々には完成する予定です。

やるに値する?

タイトルとした「100年後の町家は直せるのか?」ですが、京町家のような伝統構法の家を欲しいと思う人がいても、住んでいるうちに発生する手入れや修繕をできる人がいなければ、長く住み続けることはできません。

しかし、両方がそろえば、100年、200年、300年先の未来にも京町家が残っているでしょう。

そんな未来が想像できるような礎が、今の時代に築くことが出来るのなら、やるに値するのではと私は考えています。