七 銘木

 梅雨の合間のとある日、落海と江見は久しぶりの青空のもと車を走らせていた。 「今日行くところは少し前のクライアントさんのときにお世話になりましてね。」とハンドルを切る江見。 この日は京都市北部の京北町にある「上野銘木店」へ向かっていた。北山杉の里で40年ほど銘木の製造販売を行う店である。

 世界遺産仁和寺の山門前を通過しほどなく、「この道、周山街道ですよ。福井の小浜まで続いてる道です。」と江見。
紅葉の名所、神護寺への分かれ道を通過し、幾度かトンネルを抜けたところで田畑が点々とするのどかな風景が広がった。

「さぁ、着きましたね。」
車を降りてすぐに「わぁ、こんな気持ちのいい景色久し振りに目にしましたよ。娘も連れてきてやりたいなぁ〜」と落海は伸びをしながら深呼吸した。
あたりを見渡すと北山杉が植林された山々に囲まれ、田んぼの稲は青々とし、蝉や蛙の声が爽やかな空の下に響いていた。

「ご無沙汰してます。」という江見の顔を見て「久しぶりやね。」と恰幅のいい男性が顔をほころばせた。現社長の父、上野氏である。「まぁ、腰掛けてくださいよ。」と応接室へ促された。

 挨拶ののちひと息ついてから、自分たちが手がける大正ロマンの物件について落海が説明をした。
「大正時代、西洋にあこがれる日本人が、日本の住宅に洋風の要素を取り入れた和洋折衷の住宅を造っています。「洋」の要素ばかりではなく、洋室と隣り合わせて床の間を設けた和室がある、というような。」
「好き嫌いはあるやろけど、好きな人は好きなやつやな。」と上野氏は頷いた。

「そうなんです。今回の物件は、いわゆる京町家なんですけど、表にちょっとした洋館のような部分がくっついてまして。」
「2階でその洋館の部屋と床の間を設ける和室が一続きのようにあって。その床の間の「床柱」と「床框」と「落し掛け」を探しにきました。」
「おもしろそうやなぁ。」と上野氏は興味深い様子であった。「近頃は床の間をもうける家が減っている。それどころか畳の部屋をつくらないことも多いしな…」

「とにかく倉庫を見てもらいましょうかね。」上野氏は立ち上がった。

 落海と江見は大きな倉庫に案内された。中に入ったとたん、「これはすごいな…」と整然と並んだ銘木を見上げた落海は圧倒されていた。
「松や栂、栗や桜の木もあるけど、ほとんどは北山杉ですよ。」と隣で上野氏が言った。

 入口近くの足元に、周囲の木材の比べると細く短い枝のような木が束ねられていた。
落海が眺めていると「それは香節(こぶし)という木。春に野山で白い花が咲くかな。木自体も柑橘系のいい香りがしますしね。」 と説明しながら上野氏が先端を少し削ると、さわやかな香りが広がった。
「確かにいい香り!シトラスっぽいですね。」切り口に顔を近づけながらそう言う落海に、上野氏が説明を加えた。「茶室でもよく使われますよ。」

「奥にもまだまだあるのでどうぞ」と促された。 「絞り、なぐり、変木、いろいろありますね。こんなにあると迷うなぁ。」とあちこち目をやりながら江見が言った。
加工の種類はもちろん、皮模様が縦に横にと入ったり、思いもよらぬ方向へ曲がっているものなど、木によってさまざまな表情がある。

 図面を覗き込みながら「床柱に、ゆがみのある変木を使いたいと思ってましたけど、横の押入れとの関係上、あまり極端な変木は施工し辛らそうですね。」と落海。
「床柱はまっすぐでビビっとくるやつがいいですね」と江見が顔をあげて言った。

 1時間半ほどかけ倉庫の中を案内された二人は、いくつかあたりをつけ、床の間のようにあてがってみた。少し遠目から眺めた江見が「床柱を色味の強い赤松にすると、落とし掛けと框はこっちの薄い色の香節がいいんじゃないですかね?」「そうですね。はじめに削って匂わせてもらったシトラスっぽい香りのイメージも良かったし!」これしかない!という様子の落海だった。

「じゃあ、これで決まりですね。」と落海と江見から安堵した笑みがこぼれた。 「ちなみに赤松は、メンテナンスにこのような縄でこすって磨くと良いですよ。」と上野氏が落海に縄を手渡した。
「へぇ~それは知らなかった。買ってくださるお客さんにもおススメしてみます!」

納得がいくものを選べて、帰りの二人の心は軽かった。「そろそろ木工事も終わりですし、いよいよ完成が見えてきましたね。」と落海は嬉しそうに景色を眺めていた。車中から見えた入道雲が本格的な夏のはじまりを告げていた。

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