九 掻き立てるロマン

照明探しの後しばらくして、現場で顔を合わせた一同。 「先日の台風、ひどかったですね。」と先に着いた落海が作業中の大工職人の登氏に声をかけた。「表の塀に乗っていたのし瓦が道路へ飛んじゃって、朝一番から大変だったけど。」浅黒く日に焼けた、初老の大工職人は苦笑いした。「早々に対応してくださってありがとうございました。ご近所に大きな迷惑をかけることにならなくて良かったです。」と落海は頭を下げた。

その時、「天井、いい感じになってるなぁ~!」と安田が感嘆の声を上げながら入ってきた。 見上げると一つ一つ加工された細い木材が組み合わされ多角形を描きながら、リビングからダイニングにかけて天井いっぱいに広がっている。 今回の目玉のひとつ、変形角の格天井である。

格天井といえば、古来日本では仏教寺院や書院造建築に広く用いられる格式の高い天井様式である。有名どころでいえば、二条城の大広間・一の間の二重折り上げ格天井、日光東照宮大広間の折り上げ格天井などが挙げられる。近代になり明治~大正期に建てられた洋館建築の貴賓室や大広間などでも格天井は取り入れられた。西洋文化が世間に浸透するにつれ、庶民の住まいに設けられる応接室にも格式の高い格天井は取り入れられてきた。格天井は近代日本建築の和洋折衷を色濃く映し出す重要なエレメントなのだ。

「よくある四角形じゃないですからね。六角形を中心にした多角形ですし、取り合いの加工に面取り(角を削る)もしてますし、手が込んでますよ。職人泣かせですね。」という落海の隣にいた大工職人は笑いながら頭を立てに振って頷いていた。「このデザインは大胆な選択だと思っていたけど、高級感もでそうだし色が乗るのが楽しみだなぁ。」と江見を見ながら安田が言った。

「ところで…表の洋館部分の外壁なんですが、どの色味でいきましょうかね?」と江見が本題を切り出した。
みなで外に出て外壁を見上げ「現状はモルタル掻き落としの白壁に、窓の縁回りとわずかに出た庇は薄い緑ですね。」
「この時代の建築物でこういう色味を時々見かけますよね。」少し眩しそうな顔つきで見上げながら安田が言った。 「薄い緑とか水色とか。当時の流行色だったのかもしれない。いや~ロマンがあるなぁ。この色味はぜひ引き継ぎたい!」と落海。
「そう言われると思ってましたよ。」と言いながら室内へ戻り江見が色見本を開いた。
「青よりで水色、緑よりでエメラルドグリーン。どちらかというと実物は、緑よりの気がしませんか?」と江見。
「そうですね、エメラルドグリーンかな。大正ロマンの二軒目の屋根の色味に近いですね。あれは銅板葺の屋根が年月で酸化して変色する緑青の色をイメージして造りましたよね。」と落海が懐かしそうに言うと、安田と江見も懐かしげに頷いた。

「少し話はそれますが…表の不思議な塀。あの塀に埋め込まれたタイルにもエメラルドグリーンが使われていますよ。」江見が顔を上げて言った。その言葉に、そこにいた全員が道路へ出て塀を目にした。「本当だ。エメラルドグリーンが使われてる。規則性があるような無いような配置だし、しかもこの虫籠窓のような開口。風通しのため?何が目的なんだろう?」それぞれ、食い入るように眺めていた。
「八清がこの建物を買い取った時点で、すでに建築当時の所有者ではなかったから、もともとのことを知るすべがなくって。」と安田が残念そうにつぶやいた。

「そういえばこの建物の建築時期に、メンタームで知られる近江兄弟社の創始者“ウィリアム・メレル・ヴォーリズ”(1880年-1964年)が設計する建物の門柱に、こんな風に不規則に並ぶレンガが埋め込まれているのを見たことがあったなぁ…」と思い出したように落海が言った。
「まさか!ヴォーリズが設計した家とか…!」と安田が驚きの声をあげた。
「だったらすごいですねぇ。その可能性は薄いとしても、その建築物に憧れた当時の所有者がデザインに取り入れた…とか。」
「そんなことを想像させてくれるだけでもロマンですよ!そんな謎めいたところがこの建物の魅力なんですよ。」と落海は期待に胸を膨らませた。

開始から1時間半ほど経ち、「今日打ち合わせしたかったことはほぼ決まりましたので、そろそろお開きにしましょうか。」と江見が図面を閉じた。「もし時間があるなら、どこかでコーヒーでも飲んで休憩しませんか?」と落海が言った。
「せっかくだし近くで雰囲気の良いカフェがあれば…」とそれぞれ記憶を辿る。

「そうだ!」と江見が名案と言わんばかりに「千本今出川の「静香」なんてどうですか?」と提案した。
「千本今出川の静香…そんなのありましたっけ?」と首をかしげる安田。「ええ、今出川通を北野天満宮の方を向いて、南側の歩道に面している喫茶店ですよ。」 
すると思い出したように落海が
「そういや、京都本のレトロカフェ特集とかで何度か見かけた覚えがあります。そこにしましょう!」
日没まで作業を行う職人達に別れを告げ、3人は目当ての純喫茶へ足を向けた。

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