閉鎖登記簿によると大正14年(1925年)には存在していたというこの建物。 独特な外観が、普通の建物ではないことを物語っています。 そう、ここはかつての花街、嶋原―――。 以前は鳥料理をふるまう料亭として利用されてきましたが、 さらに遡るといわゆる“お茶屋”だったそうです。 お客様を迎え入れるため、丁寧に設えられた広い玄関、 凛とした冷たい空気の中、鮮やかな赤紅色の山茶花が咲く中庭、 通りに面して2階に3つ並ぶ小割りのおもてなし部屋など 当時の面影が隋所に色濃く残り、とても趣のある建物です。 今では多くのお茶屋が姿を消し、閑静な住宅街になりつつある嶋原。 嶋原の歴史を風化させないためにもどうしてもこの建物は残したい。 今の姿をできるだけそのまま残すにはどうしたらいいか。 そんなとき生まれたのが「シェアハウス」というアイデアでした。 ここに集まったメンバー同士で盛り上がり、 それがきっかけで少しでも嶋原の活性化につながれば、 という想いからこのプロジェクトは動き始めました。
閉鎖登記簿によると大正14年(1925年)には存在していたというこの建物。
独特な外観が、普通の建物ではないことを物語っています。
そう、ここはかつての花街、嶋原―――。
以前は鳥料理をふるまう料亭として利用されてきましたが、
さらに遡るといわゆる“お茶屋”だったそうです。
お客様を迎え入れるため、丁寧に設えられた広い玄関、
凛とした冷たい空気の中、鮮やかな赤紅色の山茶花が咲く中庭、
通りに面して2階に3つ並ぶ小割りのおもてなし部屋など
当時の面影が隋所に色濃く残り、とても趣のある建物です。
今では多くのお茶屋が姿を消し、閑静な住宅街になりつつある嶋原。
嶋原の歴史を風化させないためにもどうしてもこの建物は残したい。
今の姿をできるだけそのまま残すにはどうしたらいいか。
そんなとき生まれたのが「シェアハウス」というアイデアでした。
ここに集まったメンバー同士で盛り上がり、
それがきっかけで少しでも嶋原の活性化につながれば、
という想いからこのプロジェクトは動き始めました。